『行ってもイイ精神科、ダメな精神科 東京23区精神科潜入記』

読んでいて非常に面白く、意義深いが、手放しで礼賛はできない本。

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『行ってもイイ精神科、ダメな精神科 東京23区精神科潜入記』 ひろ新子著 バジリコ 2013年
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以前から、もし、ミシュランのように、覆面調査員がメンタルクリニックを実際に受診して、診療内容の共通性と差異を調査したら、精神医療の現状を知ることができ、興味深いのではないか、と思考実験していた。しかし、うつ病の演技を覚えた役者が受診して調査した場合、芝居通りに診断するのと、芝居を見破るのと、どちらが良いのか、というジレンマがある。とすると、本当のうつ病患者が覆面で多数のクリニックを受診しなければならないが、そんなことができる患者さんはいないだろう。そして、何よりも、倫理的、道義的問題が多すぎる…。

そんな訳で、やはりそんなことは無理だ、と思っていたが、ついにそれを実行した人が現れたので、驚いて読んでみた。

著者は、ひろ新子氏。女優として舞台に立っている上、精神保健福祉士としてクリニックで勤務したこともあり、しかも雑誌に記事を連載しているひろ氏が、実際にうつ状態となってしまい、それを機にこのルポを始めたという。このプロジェクトにはまさにうってつけの方である。

本書は、うつ状態になったひろ新子氏が、「とりあえず東京23区の精神科を初診患者としてルポしてみよう(p12)」と、各区1つずつのメンタルクリニックを受診した体験をまとめたものである。「どんな結論が導き出されるか、まだ私にもわかりません(p12)」と言いつつも、「本音を言えば、精神科のアラ捜しをするのが目的でした(p25)」とも書いている。

ひろ氏は、うつ状態にはあるものの、「半分は基本的なうつの症状。半分は本当に今私が困っている状態のこと(p23)」と書かれているので、語った事全てが本当、という訳ではなさそうである。また、最初の12カ所までは、以前(40歳代)のうつ状態のことを語らず、この年(60歳代)になって初めてうつ状態になり、受診歴はないという演技をしていた(p144)という。また、10年間デパス依存であること(p180)も、話していない。ただ、今回のうつ状態については、典型的でない症状として、過眠について一貫して語っている。

また、若い頃には、客と大喧嘩したり、カウンターの上でストリップをしたりと、かなり過激な言動をしていた時期もあり、「正直、自分でもあの頃は躁状態だったと思います」と述べ、「そんなエピソードを精神科医に話したら、表現者はほとんど全員躁病ということになってしまいます(p223)」と述べているが、この若い頃の体験についても、クリニックによって、述べたり述べなかったりしているようである。

また、これらのクリニックには、6ヶ月の間にかかっているが、その間に2ヶ月のギャップがあり、その間、芝居に出演していたという。

その結果、23人の精神科医の診断は、うつ病が20人(うち5人は非定型うつ病、1人は非定型うつ病で「かくれ躁うつ病」)。躁うつ病が1人。不安障害が1人。健康が1人であった。

実際の診断がどうであるのか、筆者にはわからないが、この間、病状そのものも変動したであろうし、重要な既往歴の情報について、語ったり語らなかったりしたにもかかわらず、23人中、20人の診断は「うつ病」で一致していた。著者は「23人の医師達は見事に違う反応を示しました(p260)」と述べているが、筆者としては、むしろ、かなりよく一致していると感じた次第である。

処方された薬は、最大でも4剤で、半数以上のクリニックでは、単剤処方であった。ひろ氏は「それぞれの医者が処方する薬の違いの大きさに衝撃を感じました」と述べているが、ガイドラインでファーストラインとして推薦されている薬は多数あり、処方内容が多様であること自体は驚くべきことではない。正確な診断が不明であることと、スルピリドの位置づけが難しい(抗うつ薬なのか、抗精神病薬なのか、抗胃潰薬なのか)ため何とも言えないが、診断がどうあれ明らかに問題処方といえるのは、抗うつ薬2剤を含む4剤が処方されたケースのみである。テレビで紹介されたり、筆者自身も相談を受けたことのある、抗うつ薬3剤、抗不安薬3剤を含めて10剤以上の処方を受けている、というような問題処方は、決してしばしばあるようなものではない、ということがわかる。

ひろ氏は、良かった医師は23人中11人であったとしている。残りの医師については、質問を一つもせず、問診票だけでいきなり診断した医師は論外としても、「反応が鈍い」とか「オカマっぽくて演技過剰」といった場合には、好みとか相性といった部分もありそうだ。また、血液検査をすすめられて商売っ気を感じたり、自立支援医療の書類を渡されただけで、「こうして患者を長年に渡って食い物にするのです」と結論するのは、少々勘ぐりすぎではないか、という印象を受けた。また、ルボックス、トレドミンなどを、「厚生労働省が海外の臨床実験で有効性が確認されなかった抗うつ剤(p260)」とし、このような抗うつ剤が処方されたことを「恐ろしいことです(p260)」と述べているが、この2013年3月29日の厚生労働省の通達が「有効性が認められなかった」としているのは、「小児等を対象とする臨床試験」である。従って、これは誤解に基づいた批判であることを指摘しておきたい。

全体として、23のクリニックは、明らかに問題といえるところは、むしろ少ないように思われた。インターネットで検索して、明らかによさそうなクリニックは除外したというから、これは無作為抽出ではない。そのような調査でも、この程度ということになる。おそらく、アラ捜しのために受診してみたひろ氏にとっては、少し手応えが少なかったのではないかと想像する。

これだけのクリニックを受診され、こうしてまとめ上げられたひろ氏のご努力には敬意を表したいし、確かに、実際、この作品は、これからメンタルクリニックを受診しようという患者さんにとっては、良いクリニックを見分ける良い手引きになると思われる。また、これからメンタルクリニックを開業しようという精神科医にとっても、参考になるかも知れない。

さて、問題は、ひろ氏が、全てのクリニックを保険診療で受診していることである。今回の企画は興味深いものではあるが、健康保険を使って、このような取材をすることに対し、何の迷いも表明されていない点は残念である。どのような保険が使われたかわからないが、もしも国民健康保険であれば、多くの税金も投入されており、取材目的なら、自費診療で行うべきだったのではないだろうか。もちろん、このような調査をきちんと科学的、倫理的に整った形で行うとしたら、個人的には、税金を投入してでも行う価値があるかも知れないと思うし、もし倫理委員会にそのような計画が提出されたら、その問題点と意義をはかりにかけて、真剣に悩むかも知れない。しかし、今回の調査はかなりの出来であると思うが、残念ながら、受診したクリニックによって、重要な既往歴の情報を変えているなど、やはり調査として十分に吟味されたものではないことは否めない。もし、調査が行われるとしたら、倫理的問題について精査した上で、科学的に厳密な方法で行われなければならない。最初から「潜入記」と銘打たれたゲリラ的調査に、このようなことを言っても仕方ないのかも知れないが…。

また、23もの診療機関で、半分芝居のような取材目的の受診で、延べ10時間くらいの医療資源を消費したことについて、「ドクターハンティングは、自分の治療の為、より良い医師と巡り合う行為としてとても良いシステムだと思います(p137)」と述べているが、この言明には大いに疑問が残る。医師一人を育てるには、長い期間とコストがかかる。病院や医師は、誰でもいつでも開業できるサービス業ではなく、限られた資源とみなすべきものである。ひろ氏一人であれば、まだ影響は限定的かも知れないが、もしも日本中の人たちがまねをして同様のことをし始めたら、医療資源の大きな無駄遣いとなってしまう。このような調査を行うに当たっては、その問題点についての十分な吟味が必要なはずだ。

また、わずか半年の間に、23ものメンタルクリニックを次々と初診し続けても、保険診療には何の制約もなかったという事実は、日本の医療システムはこのままでよいのか、と考えさせるものがあった。

著者が○と思った医師は23人中11人とのことだが、筆者は、診断がほとんど一致し、過半数が単剤治療であったことに、メンタルクリニックはけっこう頑張ってるぞ!と感じた次第である。

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