『メンタライゼーションを学ぼう』 池田暁史

精神分析を現代的精神療法としてよみがえらせたMBTの解説書

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メンタライゼーションを学ぼう 愛着外傷をのりこえるための臨床アプローチ  池田暁史 日本評論社
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 本書はMBT(Mantalization-Based Therapy)の入門書である。精神分析を専門とする池田曉史先生により書かれただけあって、前半では、当方にはなじみのない、最近の精神分析領域の様子(学派の対立に意味がなくなっている現状など)や、「解釈は間違うことに意味がある、ただしフォローが必要」、「今時の精神分析家はこんな稚拙な解釈はしない」など、最近の精神分析家の臨床実践を少しだけ垣間見ることができて興味深く思った。また、心理的自己誕生のメカニズムなど、精神分析の復習や、フロイトの時代以降、現代に至るまでの、時代による葛藤の病理の変遷なども興味深かった。
 さて、このメンタライゼーションという概念であるが、評者のような門外漢にとっては、「心の理論」の概念と近いように思われた。しかし、心の理論においては、発達の観点が中心である一方、メンタライゼーションは、覚醒度、親近性で変化することに注目していることが大きな違いである。とはいえ、発達的観点ももちろん踏まえている。
 メンタライゼーション達成以前の主体のありようとして、「目的論的モード(外的現実が内的現実を規定してしまう)」、「心的等価モード(世界を内的現実に合わせて解釈してしまう)」、「プリテンドモード(空想と現実が両立できない)」の3つがある。これらは、成長後も、メンタライジング機能が低下すればまた現れるもので、それはまさに投影や解離などの原始的防衛機制であろう。この3つのモードは、最終的には空想と現実が統合された”第3の”空間で統合され、その時我々はメンタライジング機能を獲得する。それこそが人格の成熟ということなのであろうか。
 また、「よそ者的自我」という鍵概念も紹介されている。通常は他者からの叱責は自我理想と結びついて超自我に組み込まれるが、この取り入れと内在化が部分的に失敗した結果、組み込まれ損なった叱責が「よそ者的自我」となってしまう場合があり、慢性の抑うつの患者において、このよそ者的自我が関係している場合もあるという。そして、取り入れと内在化の完全な失敗は解離を引き起こすという。
 よそ者的自我が外在化する場合、これを身体に外在化すれば自傷につながるし、他者に外在化すれば投影性同一視に至る。また、外在化ができなかった場合、これが自殺につながってしまう。また、反復強迫と呼ばれる現象(父親から虐待されていた女性がDV夫を選んでしまう等)は、よそ者的自我を外在化しやすい相手を近くに置こうとするため、と解釈されるという。
 MBTでは、これらの空想と現実を統合させることを行っていくが、その上で重要な考え方として、「not-knowing」がある。著者は「わかっていない」と訳しているが、当方にとっては、研修初期に精神療法のご指導をいただいた宮内勝先生の「早わかりしない」という言葉が一番しっくりくるように感じた。
 MBTの特徴は、無意識を扱う精神分析と異なり、MBTでは意識の領域のみを扱うという点であり、その他は同じであるという。MBTは、意識だけを扱う上、やりとりだけを見れば、一見認知行動療法のようにも見えてしまうほどであるが、セッションの中で扱われている内容は、実際には精神分析療法そのものに近い。ただし、MBTでは精神分析のように、診察場面で起きた人間関係を過去の人間関係と結びつけて解釈するような、転移の分析は行わない。そうではなく、今ここで、診察場面で起きていることを理解して、現在を変え、未来を変えるために用いていく。この点でも、精神分析を、今、ここでの問題のみを扱う現代的精神療法にアレンジしたもののようにも思える。
 MBTの「今、ここで」らしさをよく示す概念が「転移トレーサー」である。これは、転移が起きてから解釈するのでなく、治療開始前にこれまでの人間関係から起きうる未来を想定しておく、未来志向の転移の分析である。
 本書では、こうした理論的背景を元に、MBTを実際の臨床でどのように応用するかの考え方が示され、よそ者的自己による抑うつの治療で、患者のよそ者的自己を少しずつ治療者が引き受ける方法など、具体的な例も示されている。一方、サイコパスによるメンタライゼーションの誤用(悪用)という恐ろしい話もあった。
 全体としてMBTは、行動に着目することで心の中身を変えていこうとする行動療法とは逆のベクトルで、行動を心の面から理解するという、ある意味、原点に戻った精神療法にも思える。MBTの技法は、精神分析の心得なしに一朝一夕にはできないと思われるが、著者が、パッケージ化されたMBTでなく、治療の形態にかかわらずメンタライジングアプローチをとることもありうる、と言う意味のことを述べていることには勇気づけられる。日常臨床と精神分析の実践は相当距離があり、日常臨床に精神分析そのものを取り入れることは不可能に近いが、広義のメンタライジングアプローチであれば、しっかり学べば、日常臨床に取り入れることも不可能ではないと思えたからである。実際、開発者のベイトマン、フォナギー自身も、MBTを新規性、革新性のない治療と呼んでいるし、代表的なMBT研究者のアレンも、MBTを素朴で古い療法と述べているという。
 いずれにせよMBTは実際に役に立つ治療法であり、発達障害、トラウマという現代の二つの課題にも取り組みやすく、さまざまな層の人たちに応用可能であり、今世紀の病理であるナルシシズムへの処方箋にもなるという。元々は境界性パーソナリティ障害を対象として開発された治療ではあるが、より幅広い病態に応用可能と思われる。
 最終章では、コロナ禍における我々の心性と、とるべき行動をメンタライゼーションの観点から丁寧に説明してくれており、その考察の結果そのものが有意義であることに加え、なるほど、メンタライゼーションの考えはさまざまな形で応用が可能なのだな、と納得させられた次第である。
 精神分析そのものの実践は、教育分析から始まって、ほとんど一生をかけなければならないほどハードルが高いものであるが、精神分析のエッセンスを現代的精神療法の形でまとめ直したメンタライゼーションの考え方であれば、何とか取り組めるかも、と感じさせるものがあった。もちろん、生兵法は怪我の元であろうが…。
 著者である池田曉史先生とは、彼の精神科医としてのキャリアのごく初期に、東大病院で共に臨床に取り組んだが、その池田先生がこのように素晴らしい単著を世に出され、後進を育成していることを、我がことのように嬉しく思う次第である。

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