『脳・心・人工知能 数理で脳を解き明かす』

数理脳科学の創始者によるこの領域を概観できる名著

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脳・心・人工知能 数理で脳を解き明かす  甘利俊一著  講談社ブルーバックス
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 発売日の翌日に断言するのも何だが、本書は歴史に残る名著である。 
 著者の甘利俊一先生について、帯には「数理脳科学の世界的権威」とある。通常、帯のコピーは多少オーバーに書かれていても良いのに、甘利先生の場合、こんな表現では全く足りない。単なる権威ではなく、この領域のパイオニアだからだ。
 本書の中心は、何と言っても、「数理で脳を紐解く」と題した第4、5章であり、脳の数理について、順を追って解説されており、こんな本が欲しかった、という待望の内容である。もちろん、本書を読んだからといって、筆者が急にリーマン空間を用いた自然勾配学習法について理解できる訳ではないが、これらの数理脳科学における位置づけや意義についての概観を得ることができる。この領域で次々と先駆的な業績を上げられた甘利先生ご自身のご研究も、この領域の歴史の中に位置づけて紹介されており、それが無視されたり再評価されたりの経緯のお話もめっぽう面白い。
 これらの数理脳科学に関する章が本当に価値ある内容であることは言うまでもないが、これらの研究の意義について概観する前後の章もまた素晴らしい。これまでに、ビッグバンから始まる脳科学の本があったであろうか? そんな、脳を宇宙の歴史の中に位置づけた第1章に続くのが、脳についてのコンパクトな解説となっている第2章であるが、これがまた、脳を知り尽くしている甘利先生にしか書けない名文である。ごく一例を挙げれば、「海馬は空間や事物の関連をシナプス強度の形で記憶する。(中略)発火したままの興奮パターンとして物事を記憶するのではなくて、覚えたパターンを再生する「仕掛け」を静的に蓄えておけばよい(p43)」といった文章は、さりげないようでいて、脳科学を知り尽くした方でなければ書けないものだと思う。この第2章だけでも、本書を買う価値がある。そして脳の理論に関する歴史を振り返る第3章は、続く4、5章の理解の助けとなる。
 そして、数理脳科学の核心に触れる第4、5章に続く、人工知能と心について触れた第6、7章は、脳科学の未来を見つめたものであり、今後、脳研究がどこに向かうのか、どこへ向かうべきかを考えさせてくれる。
 第7章に登場する意識の統合情報理論に関する研究が、つい先月のセミナーで伺ったばかりの内容であったことから、甘利俊一先生が今も現役の研究者であることを印象づけられたが、もちろん先生は、筆者の所属する理化学研究所脳科学総合研究センターの元センター長であり、現在も特別顧問を務めて下さっている。その甘利先生の、「最近のように(中略)研究以外の管理業務に身を削っている状況では、日本人のノーベル賞受賞者も20年、30年後には激減するかもしれない(p154)」「すぐに役に立つ流行に沿った結果を論文として発表しないといけない、こうしないと生き残れないという悪しき風習が、現在の学会を覆っているが、これは日本の科学界に致命的な結果をもたらすのではないかと危惧している(p169)」といった危機感には、何となく諦め気分で現状を受け入れつつあった自分も、このままではいけない、と考えさせられた。
 それにしても、数理脳科学の入門書が欲しいと長く思っていたが、ついにそのような本を、甘利先生という、この領域の創始者である先生が自ら、しかも期待をはるかに上回る形で書いて下さったことに、心から感謝したいと思う。
 理化学研究所脳科学総合研究センターが20年目を迎える節目の年に、このような名著が出版されたことを心から嬉しく思う。

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