『これからの死に方 葬送はどこまで自由か』

葬送の自由に関する社会的合意のプロセスを議論した本

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 これからの死に方 葬送はどこまで自由か  橳島次郎著 平凡社新書
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 本書を執筆した橳島次郎氏は、生命倫理の専門家として知られる研究者である。その橳島氏にとっては、むしろ死の問題こそが元々の関心の対象であり、そこから生命倫理に入っていったという。
 本書では、NPO法人「葬送の自由をすすめる会」の活動を軸として、葬送の自由とは何か、そして現在の法体系の中で、どのように扱われており、今後どう扱われるべきかを議論している。このNPO法人は、法の間隙で、扱いがはっきりしなかった「散骨」などについての社会的合意を目指して2002年に設立された。その活動の結果、現在では散骨は社会的に許容され、厚生労働省も適法であることを認め、現在では散骨を請け負う業者もある程になっている。その結果、このNPOの会員は、役割を終え、むしろ減っているという。
 こうした経緯は、ブレインバンクを巡る環境に類似している。ブレインバンクにおいても、剖検を行った病院で摘出した脳をブレインバンクまで運ぶこと、保管し整理した脳の一部を研究施設に提供することなど、何一つ法律に書かれていない。そのような中でも、新潟大学脳研究所東京都健康長寿医療センター研究所(東京都老人研)高齢者ブレインバンク、そして福島医大精神疾患ブレインバンクなどによる先駆的な活動が行われ、これらを基盤として、昨年には、日本生物学的精神医学会と日本神経病理学会の合同によるブレインバンク倫理指針が策定された。こうした実績をもとに、2016年度より、AMEDの融合脳プロジェクトにおいて、「日本ブレインバンクネットの構築」が開始されるなど、これまでのブレインバンク運動は少しずつ実りつつある。
 橳島氏も、散骨以外に、土葬、フリーズドライ葬から鳥葬に至るまで、さまざまな角度から葬送の自由とは何かについて語る中で、献体や展示標本になるという選択肢まで議論している。しかし、最終的には、葬送の自由は死者の自己決定の名のもとで無制限に認められるべきものではなく、送られる死者と、残された者の思いの両方を尊重すべき、という結論に至る。
 筆者も2月に父を亡くし、父の急死後の5日間、父と親しかった多くの方々にお会いして、色々なお話を伺った。筆者のような脳科学に携わる者が、「魂」が実在するなどと言うと穏やかではないかも知れないが、父の葬儀を経験して、魂とは、故人と接した人達の脳と心に刻まれた故人についての表象、想い出の集合体であり、葬式とは、故人について語り合うことで、互いの想い出をやり取りし、遺された人達の脳同士のネットワークの中に「魂」を創発させる作業なのだと感じた。葬式は、故人のためのものであると同時に、遺された者が故人の魂と共に生きていくためのものなのであろう。
 死に方を考えることは、生き方を考えることでもある。父を喪ったこの年に本書に出会ったこともまた、人生にとって何か意味があるのかも知れない。

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