『双極うつ病―包括的なガイド』 

ガミー氏による第1章だけでも一読の価値はある。

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『双極うつ病――包括的なガイド』 リフ・S・エル‐マラーク/S・ナシア・ガミー著 田島治・佐藤美奈子訳 星和書店 2013年
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双極性障害に関する英語の専門書は、Goodwin & Jamisonの大著” Manic-Depressive Illness”(Oxford University Press, 2007)を初めとして、多数出版されている。日本では、ほんの十年ほど前まで、双極性障害に関する本はほとんどなかったが、この数年の間に急増し、多数出版されている。しかし、本書のように、双極性うつ病に焦点を当てながらも、診断、治療、原因などを幅広く扱った、翻訳の専門書はほとんどなかった。

著者の1人であるエル・マラーク氏は、初期には主に双極性障害の病態におけるナトリウムポンプの意義に注目した生物学的な研究を行い、最近では臨床研究も幅広く行っている双極性障害研究者である。もう1人の著者であるガミー氏も、双極性障害の臨床研究に携わる研究者であるが、哲学の素養も持ち、「現代精神医学原論」「現代精神医学のゆくえ」(みすず書房2009年、2012年)などの著書で、精神医学の基本問題に関して見識を披露している論客としても知られていることから、本書にも期待するところ大であった。しかしながら、この2人は日本語版では「著」とされているが、実際には編者であり、15名の著者が分担執筆した本であることには留意されたい。もちろん、例えば第9章の「双極うつ病に対する心理的介入」の著者が、最近翻訳された「双極性障害の心理教育マニュアル」(医学書院2012年)の著者、コロム氏とビエタ氏であるなど、各章はその領域のエキスパートにより書かれている。

本書の中で特に読み応えがあるのは、ガミー氏自身により書かれ、診断における妥当性とは何か、という論考を土台としつつ、エビデンスに基づいて総説された第1章「双極うつ病の診断」や、リチウムの自殺予防効果を含め多角的に総説した第5章「双極うつ病における自殺」などである。特に第1章は、一読して、そういえばこうした翻訳本はこれまでなかった、と再認識させられ、新鮮に感じた。これらの2章だけでも、本書を一読する価値があろう。

一方、第2章「双極うつ病の神経生物学」、第3章「双極性障害の遺伝学」は、本書の原著が2006年に出版された後に大きな進展のあった領域であるため、特に遺伝子研究については、歴史的意義はあっても、残念ながら、現状とは大きくかけ離れてしまっている。また、第4章「小児双極うつ病」を初めとする小児双極性障害についての記述の中で、疾患喧伝の影響についての懸念がほとんど述べられていないのは、2006年刊行という時代を考慮しても、ガミー氏のような論客が編集した本としてはやや意外に感じられる。

薬物療法について扱った第6章~第9章のうち、抗うつ薬の問題を扱った7章については、これまでの議論の経緯のまとめとして有用である。第8章の抗精神病薬の章は、定型抗精神病薬によるうつ転の問題という、最近ではつい忘れがちなテーマについてしっかり書かれている点は有用であるが、その一方で、非定型抗精神病薬についての記述は、既にエビデンスが出始めていた頃に書かれた割には、かなり控えめである。また、治療全体をまとめた章がなく、薬剤のクラス毎に独立した記載となっているため、全体としてどのように治療を進めるべきか、という点については、ややつかみにくい印象があった。

心理的介入を扱った第10章などは、多少の年数が経過しても決して色あせることはないが、原著が出版された2006年以降の7年間の双極性障害研究の進歩は大きく、その点が本書において最も惜しまれる点である。とはいえ、診断、治療に関する章では、この7年間の進歩の中で最も重要ないくつかの論文を訳者が補っている。具体的には、双極うつ病に対して抗うつ薬が有効でないことを示した論文(Sachs et al, 2007)、ラモトリギンの双極うつ病の急性期への有効性が確実でないことを示した論文(Geddes et al, 2009)、クエチアピンの双極うつ病に対する有効性を示した試験(Young et al 2010; McElroy et al, 2010)などがかなりの字数を割いて訳注として追加されている。これらがなければ、本書が2013年に出版される意義が大いに減じてしまうところであったと思われ、訳者による配慮は功を奏している。

全体として、2006年までの鍵文献を見渡し、最新の知識を補いながら双極性うつ病の診断と治療について考えたいと思う臨床家にとって、有意義な本であると思う。

(図書新聞2013年4月27日号掲載)

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