『精神医学の実在と虚構』

精神医学における根本問題を扱った刺激的な本      

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精神医学の実在と虚構 村井俊哉 日本評論社
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 色々な意味で興味深い書物である。
 村井俊哉氏は、京都大学精神医学教室の教授として、精神医学のメインストリームで活躍されており、多くの著書や訳書も出版されている。特に、最近のナシア・ガミー氏の『現代精神医学原論』『現代精神医学のゆくえ-バイオサイコソーシャル折衷主義からの脱却』の翻訳は、精神医学界に大きなインパクトを与えた。
 本書は、村井氏の多数の論文の中から、「自分の専門職のミッションとしての「90%」以外の「10%」の中で考えてきたこと」についての論文を集めたものであるという。しかし、この種の書物では通常、過去の論文をまとめて一冊にするのに対して、本書では、村井氏が過去の論文について、自らの論考の変遷をたどりつつ紹介するという、これまでにない形式の書物となっている。
 その論理構成もまた、斬新である。第一章は、カプグラ症候群についての考察から始まる。カプグラ症候群は、身近な人物が瓜二つのにせものと入れ替わってしまっていると確信する妄想であり、その特異な性質から、精神病理学と神経心理学の境界領域にある症状として精神医学研究者の関心を引いてきた。筆者が初めて村井氏とお会いしたのはちょうどこの論文が書かれた頃で、当時、こうしたトピックについて議論したことを懐かしく思い出しつつ読んだ。
 ところが、第二章ではいきなり、DSMにおける疾患名についての議論に跳ぶ。何も知らずに目次だけ眺めると、過去の論文をランダムに並べただけに見えるかもしれないが、さにあらず。カプグラ症候群では、例えば母親に対して、「姿形も声もそっくりだが、母親ではない」と確信するが、そこには、姿形や声などの属性では現すことのできない「本質」が存在することが前提となっている。一方、精神疾患の概念においても、症状や経過の特徴のみでは記述できない本質がある、と信じられてきた。そして、DSMが日本に受け入れられる際の軋轢を、「本質」を扱おうとする伝統的精神医学と、「姿形」を扱おうとするDSMの間の摩擦であったことを看破するに至るのである。
 この考察は、筆者にとっても腑に落ちるものであった。「行ってもイイ精神科…」の書評で書いた通り、筆者は以前より、「ミシュランのような覆面調査員が多くの精神科を受診して診断一致率を調べたらどうだろうか」との思考実験をしていたが、完璧なうつ病の演技を覚えた役者を芝居の通りに診断するのと、芝居を見破るのと、どちらが正解か」という問いへの回答について、明確に説明することができなかった。本書を読んで、この問題について、初めて明確な答えを得ることができたように思う。
 この最初の2章の論理の流れだけでも、目から鱗が落ちる思いであるが、村井氏の論考は、さらに進み、精神医学と脳科学の関係、そして精神医学の目的へと進んでいく。その論理の流れについては、実際に本書を読んで体験していただくのが最良と思い、ここで紹介することは控えさせていただくが、とにかく、刺激的な書物であった。精神医学に関心を持つ者にとって、決して通り過ぎることのできない本であると思う。

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